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書きながら考えているので考えたことを書いてるんじゃなくて書いたものが考えたことです。もしかするとなにも考えていないかもしれない。

夕飯を作らねば、と思い一階に降りる。今週は母がイギリスへ旅行に行っているため、在宅で仕事をしている僕が夕飯の当番ということになっている。食事の用意に困ることのないようにと母が書き残していったレシピを取り上げる。最近はいろいろなものを残しておきたいと考えており、その一貫としてレシピの書かれた紙をiPhoneで撮影する。画像のなかの文字はずいぶんと薄い。しかし読めないことはない。

レシピを読みながら調理過程を想像する。いつもの通り、レシピに分量は書かれていない。祖母から吹き込まれたのだと母が何度もくり返し唱える、いいかげんは良い加減、という言葉を思い浮かべる。玄関のチャイムが鳴る。扉を開けると新聞の集金人が立っている。自室に財布を取りに行き、告げられた金額を支払う。集金人がお釣りを探っているところに父が帰宅してくる。キッチンに戻り、作業にとりかかる。

冷蔵庫から出しラップをはがしたパックの鶏肉をフォークで刺す。料理というのはひどく暴力的な行為だと考える。二階で着替えを終えた父から、そんなに刺すのか、と言われる。やったことがないのでわからないがこんなもんだろう、と返す。父が、畑へ行ってくる、と告げる。父はもう何年も前から趣味で野菜を育てており、すでにそれが生きがいのようになっている。返事をし、帰ってくる頃までには調理作業は終わるだろうと考える。

塩コショウをしてにんにくを擦りつける。レシピには「にんにくをすりつける」と書いてあるだけでほかはわからない。にんにくはスライスして擦りつけるのか、すりおろして擦りつけるのか、どのくらいの量が必要なのか。結局、チューブにんにくを適当に使った。フライパンに油を注ぎIHにかける。油が多すぎると思いキッチンペーパーに染み込ませつつ広げる。鶏肉を皮目から焼く。じゅうぅぅぅと音が鳴る。これもまたずいぶん野蛮な行為だと思う。換気扇のスイッチを入れる。レシピにまた目を通し、冷蔵庫から椎茸としめじを、専用の木箱から玉ねぎを取り出す。それぞれを包丁で切り刻む。

二年前までひとり暮らしをしていた家にあった包丁は祖母が古くから使っていたものだった。祖母の亡くなったあとの空き家で僕はひとり暮らしをしていたのだった。道具の手入れに頓着がなかったであろう祖母と怠け者の僕に使われたそれはひどいなまくらで、食材を切るときには無駄に力を必要とした。鶏肉の皮を切るときにはそれを支点に引きちぎるようにしなければならなかったし、トマトを切ろうとすれば中身がつぶれた。それに比べればこの実家の包丁は切れ味がよく、力を入れずに食材は形が整う。切れ味のいい包丁となまくらと化した包丁を使うのとでは、どちらが暴力的だろうか。

玉ねぎとキノコたちはすぐにバラバラになる。分量がわからないので少なめにしたが、これでちょうどいいかもしれない。鶏肉の焼け具合を見る。よく焼けているのでひっくり返す。トングを使うのは好きだ。手に馴染む感覚がいい。焦げ目がつくまでひまだと思い、二階に煙草と灰皿を取りに行く。一階では吸わない決まりだけれど、換気扇の前であればいいだろうと思う。換気扇の強さを最大にする。煙草に火をつける。煙を吐き出す。鶏肉の入っていた発泡スチロールを軽く拭き、そこに鶏肉を取り上げる。フライパンにこびりついたにんにくをこそげ取り、玉ねぎとキノコを炒める。簡単な炒めものをするのは気分がいい。玉ねぎとキノコにはすぐに熱が入る。それらは互いに、必要以上にくっつき合うことはなく、程よい質量で個々を保つ。

料理をするのはずいぶん久しぶりだと考える。煙草を消す。鶏肉を、炒めたものの上に載せる。トマトの水煮とトマトピューレを投入し、水煮缶一杯分の水を足す。その水に、瓶に残ったトマトピューレを溶かし込むことも僕は忘れない。レシピにきちんと書いてあった。水煮のトマトをつぶしながら、兄が料理をまったく覚えないことと母が機械の扱い方を覚えないこと、あるいは僕が生きること全般に対して抱いている印象は同じようなことかも知れないと考える。人は、いまだ理解しないある種のものを必要以上に恐れ、それは自分の人生には関係ないものだと思い込み、遠ざける。人は、自分にとっての自明が他の人にとっての未知であると想像できず、それを押し付ける。“なぜお前はこんなに簡単なことができないのか”。父が帰宅し、畑から取ってきた落花生を洗い始める。固形コンソメをつぶしながら入れ、あとは四十分火にかければできあがりだと確認する。煙草に火をつける。兄が料理を覚えれば、母がいない時の僕の負担が少し減るのに、と思う。煙草を消して灰をビニール袋に捨てる。父に、あとは任せる、と告げる。