B06

書きながら考えているので考えたことを書いてるんじゃなくて書いたものが考えたことです。もしかするとなにも考えていないかもしれない。

インセプションを見た。

 すっげーおもしろかったです。ちょっと興奮してるんですけど、この興奮がインセプションに対してなのか映画を見たことに対してなのかちょっと判断つきづらい。というのも、俺、数年映画を見てなかった。インセプションはちっこいノートPCで見たんですが、よく考えたら最後に映画館に行ったのっていつだっけ? 音楽でも人と会うことでもなんでもそうだと思うけど、その場へ足を運んで体感するライブ感とか目撃感とかそういうのをだいぶなおざりにしてきてる感じです。あの迫力の映像とサウンドをもう一度。家から徒歩五分ほどの距離に映画館あるのに一回も行ったことない。


 この映画は夢の中に侵入してなんやかんやっていうのがストーリーなんだけど、夢を扱ったものにはそれだけですごい惹かれる。これは、僕が物語やフィクションというものに興味を持ち始めたきっかけが村上春樹だということも大きいと思う。ここから村上春樹の話になりますけれども、彼の文章の中には「井戸」や「地下室」というファクターが頻出する。これは、無意識の深みへ降りていくメタファーと捉えていいでしょう。わかりやすい。彼自身、「自分に才能があるとしたら、それは深みへ降りていって、元の世界へ帰ってこれること」というような意味合いのことを言っていた。ニーチェでしたっけ、「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている」みたいな言葉(インセプションで言えば、モル(コブ=ディカプリオの奥さん)が、夢の世界が現実であると思い込んでしまったのは、この深遠に覗かれ取り込まれてしまったことだと言える)。つまり村上春樹は、深淵へ降りてそれを目撃し体感し、その誘惑だか攻撃だかに耐えて無事に帰ってくることができる。そしてさらに、それを小説という方法でもってカタチにすることができる。すげぇ。こういうこと書き出したらぜんぜんちがう方向に話が行ってしまうのでこのへんで止めておきますけど、つまり、「夢」というテーマを扱っているとすぐに僕の頭の中では村上春樹が連想されるのでした。インセプションの夢の表現が村上春樹のそれと同じだという話ではないです。


 それにしてもインセプションの夢の表現はおもしろいなーと思いました。ぐるぐるとした不条理な悪夢ではなく、現実と見分けのつかないように構築された世界。「夢」というものが実際にどういうものであるかは置いておいて、夢がはっきりと階層に分かれていて、しかしいま自分がどこにいるのかわからないあの感じ。あの長々とした説明ターンも楽しかった。設定の矛盾は「これ夢だから」の一言で言い逃れできるけど、そこを逆手にとって、「これは夢のなかで起こったできごとをつじつまが合うように脳が解釈しなおした映像である」みたいな見方をしたら、またおもしろいかもしれない。


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